似ていると思う。
僕の世代的に言うまでもなく、自分はガンダムが好きである。ここだけの話、ほんの数年前までプラモを作ったりしていたくらいだ。ぐっとマニアな話になるけれど、連邦かジオンかと言われれば、ジオン派だったりする。
そんな僕にとって、ジオン側の目線で描かれた「MS IGLOO」というOVAは、かなり思い入れのある映像作品だ。試作兵器を運用する役目を負ったジオンの実験部隊が、制式化されなかったワンオフの兵器を用いて連邦に相対する。もちろん、試作兵器を開発したスタッフ自身はその兵器に自信も思い入れも持っているんだけど、敵となる連邦軍はもとより味方からもバカにされる始末。そんな状況化で、実験部隊と試作兵器は、捨て駒的に戦線に投入されていく。
ジオン側に立ち作られた作品は全六作ある。その一作目は、宇宙における艦隊同士の戦いを決定付けると期待されていた巨大な大砲のお話だ。
どんどん話がオタクっぽくなっていくけれど、その試作大砲が初めて実戦投入されたのは、一年戦争序盤のルウム戦役。大砲としては優れた性能を持っていたんだけれど、時代は既に大艦巨砲主義が終わり、戦場の主役はモビルスーツに移ろうとしていた。実際、ルウムでの勝敗を決定付けたのは、艦隊数に劣るジオンが大量に投入したモビルスーツで、試作大砲はその性能をアピールする機会なく、戦場に沈むことになる。
なぜ長々と、自分のガンオタぶりを晒してまでこんなことを書いたかというと、話題にあげた試作大砲とZuiko Digital 35-100mm f2.0って、その立ち位置が似ていると感じているからだ(強引)。
ズーム全域で開放f値は2.0。ZD14-35mmと合わせて運用することで、35mm版換算28-300mmを、“f2通し”でつなげる弩級レンズ。他マウントにおける70-200mm f2.8に相当する。f2という明るさもさることながら、EDレンズ、スーパーEDレンズを4枚使う贅沢な光学構成で、絞り開放から画面周辺まで破綻なく描写する、まさにフォーサーズっぽい写りが得られる。
ただし、その大きさ、重さはフォーサーズっぽくはない。描写を落ち着かせるための絞り込みを必要としない、妥協なき光学性能を実現するため、フードと三脚座を外した状態で1650gと、他社の70-200mm f2.8クラスのレンズと比べても大きな質量を持つ。
もちろんZD35-100mmはフォーサーズ高級レンズの常として、防水に近い防塵防滴性能を備えるけど、他社の同クラスズームは超音波モーターや手ぶれ補正機構をレンズ側に組み込んであの質量なわけで、ZD35-100mmは相対的にでかい、ということには変わりはない。
正直にいうと、ZD35-100mmは、性能を追及するあまり、やり過ぎちゃった感はあると思う。特にZDには、50-200mm f2.8-3.5 SWDという、高い実用性を誇る望遠ズームがあるわけで、なおのこと、ZD35-100mmを求める理由が見出しにくくなる。
じゃあ僕がなぜ、ZD35-100mmを入れたのか? それは面映いけれど、夢とロマンだろう。防塵防滴、インナーフォーカスは当然として、ズームしても全長に変化のないインナーズーム構造。そしてなにより、“f2通しズームレンズ”という言葉が有する魅力ーー結局僕は、これに抗えなかったということなのだ。ひとつ主観を付け加えると、他マウントのように白い鏡筒ではなく黒を採用し、先端部分にZuiko Digital最高峰の証のプラチナラインをあしらうことで、デザイン上の精悍さも引き立っていると思う。
手持ちのE-30にあわせると、12-60mmや50-200mmとは違う、しっとりと艶やかな描写をしてくれる。f2開放もいいけれど、f4から5.6くらいまで絞り込んだ時の、被写界深度内からアウトフォーカス部に至る部分の“ざわつきのない落ち着き”を見せる描写が、ハイグレード以下のレンズとの格の違いだろう。この特性は、特に花と、人物を撮る時に生きるものと感じる。
悩ましいのは、例えばEFマウントには、より軽量で安価でありながら同じ画角とボケを得られる70-200mm f4.0があったりするということだ。なるべく基準感度で撮りたい、ISOを上げずにシャッタースピードを稼ぎたい、ということでなければ、素直にEOSを買えばいいじゃん、ということになる。フォーサーズ内に選択肢を限っても、上述の50-200mmがあるし、さらにマイクロフォーサーズの望遠ズームでよければ比べ物にならないくらい軽量で、安価に済んでしまう。
このように、“確かに性能は凄いけど、実用性で評価すると違う選択肢があるんじゃない?”と言われた時になかなか反証しづらいというZD35-100mmの立ち位置が、ジオンの試作兵器に似ていると思うのだ。まあZDには全体的に、ジオン、そしてその元ネタのドイツ兵器に見られるような、「理屈先行型で設計され、実運用面では問題を抱えていなくもない・・・」という傾向があるのだけれど。
でも写真を撮るという行為において、実用性を突き詰めると、そもそもレンズ交換式のカメラ自体、それがDSLRでなくミラーレスカメラであろうとも、コストパフォーマンスは良くないと思う。一眼レフよりコンデジのほうが、ズーム域もマクロもイケるし、ケータイのカメラだってなかなかのものだ。iPhoneなら、写真を撮ってすぐ、オンラインサービスを通じて知人同士共有できるし。
ただ実用性だけで判断するのではなく、やり過ぎた感のある“高級ガラス玉”を携えて対象とファインダー越しに向き合う儀式、そういう行為そのものが、僕に非日常的な自省をもたらしてくれていると思うのだ。
だからいいじゃん、無駄遣いしたってさ(苦)
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